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小川清彦 (天文学者) : ウィキペディア日本語版 | 小川清彦 (天文学者)[おがわ きよひこ] 小川 清彦(おがわ きよひこ、1882年10月2日 - 1950年1月10日)は、明治から昭和期にかけての天文学者・暦学者。日本における古天文学の創始者と言われている。 == 生涯 == 東京府(現:東京都)出身。父は臼杵藩50石取りで代々馬廻役を務めた家に生まれた小川邦臣〔陸軍士官学校第一期生、在校中西南戦争に広島鎮台第11連隊第3大隊第1中隊の少尉試補として出征し、田原坂付近の戦闘で負傷。卒業後は明治12年砲兵少尉、同24年砲兵大尉となる。〕で、貢進生として東京に行きそのまま陸軍に勤めていた。母は臼杵藩三番家老、村瀬庄兵衛の娘のマサ。 清彦は次男として生まれているが戸籍上に長男は存在せず、家督も1920年に相続しているため事実上の長男といえる(そのため、文献によって長男であったり次男であったりと表記が混乱している)。 小川は17歳頃に中耳炎の悪化で聴力を失う。そのため官学への入学は不可能であり、このことは後に帝大出身者が主流である天文台の中で大きな役に就けないという結果をもたらし、平山清次教授との確執にも少なからず影響を与えた。聾者でも入学可能であった東京物理学校に入学するが、授業を受けることが出来ずに独学で20歳の時に同校を卒業。独学で英語・ドイツ語・フランス語に通じた。卒業後、その能力を評価されて東京天文台に採用されて1944年までの42年間在職したが、低い身分での採用であり、暦計算室で地味な仕事に終始した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川清彦 (天文学者)」の詳細全文を読む
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